かれこれ20年くらい前に「Web 2.0」という言葉が大流行しました。たぶん、その代表選手はGmail(2004年)だったんじゃないかと思います。これまでの静的なWebサイトがWeb 1.0だったとして、JavaScriptでアプリケーションとして動く動的なWebアプリケーションの世界もWeb 2.0の一つの側面だったと記憶しています。そういえば、どことなく神秘主義的な言い方や考え方が流行った時代でもありました。エリック・レイモンドの「伽藍とバザール」(1999年)もそう。
もう一つのWeb 2.0の側面は「集合知(集合的知性)」だと思います。ひとりひとりの個別の知識より、より多くの人の英知が集まった知識「集合知」のほうが、個人の知性と比べてより正しく、より大きな影響力を発揮できるという概念だったと思います。代表的なのがWikipedia(2001年)でしたし、Facebook(2004年)でした。集合知といういい方もなんか神秘主義っぽいですね。当時はやった梅田望夫さんの『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』(2006年)も日本におけるWeb 2.0の普及啓もうに一役買った書籍でしたが、これも宗教っぽいなあと、ボクははたから見て思っていました。
当時はブログも大変盛んで、多くの個人が情報発信をしました。人気ブロガーはアルファブロガーなんて呼ばれていました。WordPressが生まれたのも2003年でしたね。いまは個人ブログはすっかり下火になり、アルファブロガーなどという言葉はなくなりました。それにとってかわったのがYouTubeでありユーチューバーですね。YouTubeが生まれたのも2005年です。ちなみに堀江貴文(ホリエモン)さんのライブドアがブイブイ言わせていたのもこのころです。
こうやって見てみると、Gmail、Facebook、YouTube、WordPressなどWeb2.0の頃に生まれたサービスはいまだに元気ですし、影響力を持ったプラットフォームになっています。宗教としてはじまり、ビジネスとして落ち着いた会社が勝者となった。でも、多くの人が当時に描いていた「集合知」による明るい未来は訪れませんでした。「集合知」を吸い上げてマネタイズしたのがGoogleであり、Facebookなどソーシャルメディアでした。その結果として生まれたのは「集合知」による明るい未来ではなく、二極化(ポーラリゼーション)による分断でした。いわゆるエコーチェンバーというやつです。
GoogleやFacebookはインターネットのコンテンツをマネタイズしました。「インターネットのコンテンツはすべて集合知なのだから、それを使って商売してもフェアユースなんだから無料で使ってもいいだろ」というロジックです。個人のブロガーとかはまだいいのですが、コンテンツを生業としている出版社などにとってはたまったものではありません。そこで、競争力のあるメディアは早々とコンテンツを有料化して、課金しないと入れないペイウォールを築きました。Web 2.0的な「集合知」と、著作権という考え方は、なかなか相いれない考え方なのだと表面化してきました。十分に商売ができる優良コンテンツをGoogleやFacebookの肥料にさせるわけにはいかない。
いまのAIブームを見ていると、当時のWeb 2.0と似ていると感じることが多くあります。インターネットに溜まった個人の知識を吸い取って、マネタイズするという意味では全く同じです。たぶん、同じことを思っている人はたくさんいるでしょう。Web 2.0で多くの人が「集合知」に期待していたのと同様に、AIで多くの人がAGIに期待してるのだと思います。Web 2.0の集合知は主にテキストだけでしたが、AIの場合は音楽や映像も含まれてくる。これまでの音楽や映像を吸い取って、AIで再利用してマネタイズする。当時のGoogleやFacebookが「集合知」の夢を語り、フェアユースとしてコンテンツを無料で吸い上げてきたのと同様に、OpenAIやAnthropicは「AGI」の夢を語り、フェアユースとしてコンテンツを無料で吸い上げようとしています。
しかしながら、実際にWeb2.0が「集合知」から生み出したのはエコーチェンバーであり、OpenAIやAnthropicが生み出すのはAIスロップ(AIが生み出す低品質コンテンツ)です。少なくともそうなる可能性が高いと思っていますAIは人間以上のものを生み出すことができない。劣化コピーでしかない。AIは、その仕組み上、学習データが必要です。その学習データを生み出すのが人間です。MetaのAIが『ハリーポッターと賢者の石』の半分を再現したというニュースがありましたが、それはAIが『ハリーポッターと賢者の石』を学習していたからです。現在の生成AIは「人間が生み出す集合知をコンピューターでいい感じに出力してくれる」という意味では、これまでのWeb 2.0的の搾取的なビジネスモデルの延長線上にあると思います。しかし、Web 2.0のころと比べて、AIにはとにかくお金とリソースがかかる。
現在の生成AIはとにかくお金がかかる。投資家たちも慈善活動をやってるわけではないので、きっちりと投資は回収したい。AI企業はその期待に応えないといけない。だからAIの夢について語るし、AGIの脅威についても語る。ただ、それは大きなお金を集める方便であり、夢も脅威も「ノストラダムスの大予言」程度の信ぴょう性しかないと個人的には思っています。同じように思っている人は意外と多いんじゃないですかね。「OpenAIがGoogle WorkspaceとMicrosoft Office対抗機能を開発中」なんてニュースも先週はありましたが、OpenAIもそろそろ現実的な着地点を探り始めたのでしょう。