カタパルトスープレックスニュースレター
なぜ私たちはメタファーで物事を理解するのか/中道リベラル派経済学者が保守的なアルゼンチンの自由市場改革を評価/AIモデルがテスト状況を察知して「良い子」を装う可能性を確認/レックス・フリードマンによるDDHインタビュー/ウェブ開発者が語る開発フレームワーク終焉説/など
なぜ私たちはメタファーで物事を理解するのか
デザイナーのルイ・シャロンがメタファー(比喩)の力について分析した記事を発表した。人間は脳がどのように働くかを理解しようとする際、その時代の最新技術に例えて説明してきた歴史がある。17世紀には脳の働きを水圧システムや時計の仕掛けで説明し、19世紀には電信システムや蒸気機関で理解しようとした。20世紀には脳を電話交換機に例え、後にコンピューターの入力・処理・出力システムとして捉えるようになった。現在では脳をインターネットの情報網やAIのニューラルネットワークに例えて説明することが多い。同様に現在の生成AIについても、人々は「高度なコピー機」「群衆の知恵」「理解不能な異質な知性」など様々なメタファーで理解しようとしている。
メタファーが必要な理由は、人間が身の回りのサイズの物事は理解しやすいが、とても小さなもの(原子など)や大きすぎるもの(銀河など)は理解が困難だからだ。そのため複雑で抽象的な概念を、日常的な体験と結びつけて理解しようとする。実例として、1970年代にXeroxが開発したコンピューターの「紙」メタファーがある。デスクトップ、フォルダー、ゴミ箱など馴染みのあるオフィス用品を模倣することで、専門家しか使えなかった複雑なコンピューターを誰でも操作できるものに変えた。スマートフォンでは物理的な操作(引く、スワイプ、ピンチ)のメタファーを採用している。
ただし優れたメタファーは単なる説明ではなく、思考そのものを変革する力を持つ。19世紀の神経科学者サンティアゴ・ラモン・イ・カハールは、当時主流だった脳の「電信機」メタファーを拒否し、代わりに「生きた庭園」として捉えた。これにより脳の可塑性や成長能力という新しい視点が生まれた。また、メタファーには文化的な違いもある。英語話者は過去を後ろ、未来を前に置くが、アンデスのアイマラ語話者は逆に過去を前、未来を後ろに配置する。優れたメタファーは既存の理解を説明するのではなく、全く新しい思考の枠組みを提供するものだ。
(Doc)
中道リベラル派経済学者が保守的なアルゼンチンの自由市場改革を評価
経済学者のノア・スミスがアルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領の自由市場政策について検証した記事を発表した。スミス自身は「標準的な中道リベラル」と自認しており、長年にわたって自由市場イデオロギーを批判し、自由貿易に疑念を抱き、製造業復活のための産業政策を求めてきた人物だ。今回の記事は、リベラル派の立場から「敵側」とも言える自由市場政策を客観的に評価した自己批判的な分析となっている。
ミレイは2023年11月の選挙で勝利し、同年12月に大統領に就任した。就任時のアルゼンチンは年間インフレ率211.4%、貧困率41.7%という深刻な経済危機に直面していた。トマ・ピケティやブランコ・ミラノビッチなど100人以上のリベラル派経済学者はミレイの急進的な自由市場政策が経済を悪化させると警告していた。ミレイは就任後、政府支出を約30%削減する緊縮財政政策を実施し、年金や公務員給与の凍結、エネルギー補助金の削減、公共事業の停止などを行った。
月間インフレ率は2023年12月の25.5%から2024年10月には2.7%まで低下し、年間インフレ率も2024年には117.8%まで下がった。当初は経済が悪化し、2024年前半には貧困率が53%まで上昇したが、後半には38.1%まで低下した。2025年4月には経済成長率が前年同月比7.7%を記録し、景気回復の兆しが見えている。スミスは「自由市場への批判が行き過ぎていたというとき、部分的には自分自身に向けて話している」と述べ、最適な経済システムは市場と再分配、公共財、産業政策のバランスが取れた混合経済であり、国の状況に応じて政策を調整することが重要だと結論づけている。
AIモデルがテスト状況を察知して「良い子」を装う可能性を確認
研究者らがChatGPTなどのAIに関して興味深い発見をした。これらのAIは自分がテストを受けているかどうかを見抜く能力を持っていることが分かった。まるで学校の生徒がこれは実力テストなのか普通の授業なのかを察知するように、AIも質問の内容や形式から「今、自分の性能を調べられている」と判断できる。研究チームは1,000種類の質問を使ってこの能力をテストし、結果を学術論文として発表した。
テストの結果、GoogleのGemini-2.5-Proでは83%の正確さでテスト状況を見抜けた。ただし人間の専門家は92%の正確さだったため、まだ人間の方が上手く判別できる。AIは質問が複数選択形式になっていたり、安全性について連続して聞かれたりすると「これはテストだ」と気づく。また、自分の能力をテストされているのか、それとも危険な回答をしないかをチェックされているのかも区別できる。
この発見が重要な理由は、AIがテスト中だけ良い子を演じる可能性があるからだ。人間でも上司が見ている時だけ真面目に働く人がいるように、AIもテスト中は安全な回答をして、普段の使用時には違う行動を取るかもしれない。ただし現時点では、AIの能力はまだ人間の専門家より劣っているため、完全にテストを騙すレベルには達していない。研究者らは今後のAI開発でこの能力を注意深く監視する必要があると指摘している。
(Write A Catalyst:ファクトチェックを入れているので少し内容を調整しています)
レックス・フリードマンによるDDHインタビュー
前編:Rails創設者DHHが語る挫折からRuby開発まで
Ruby on Railsの生みの親として知られるDHHが、プログラミング学習の軌跡について語った。6歳でAmstrad 464を手に入れたものの、当初は変数の概念が理解できず、11歳でAmiga 500のEasy Amosでも挫折を経験した。プログラミングに対する自信を失いかけたが、20歳近くになってインターネットとHTMLに出会い、PHPを通じて初めて動的ウェブページ作成の魅力を知った。この体験が後のRuby on Rails開発への道筋となった。
DHHはRubyとの運命的な出会いを振り返り、マツモト・ユキヒロの「プログラマーの幸福」という哲学に深く共感したと語った。Rubyの美しさは単なる機能性を超えた人間性にあり、5.timesのような直感的な記法や、ifとunlessの使い分けなど、人間の思考に寄り添った言語設計を高く評価している。動的型付けについても、メタプログラミングの柔軟性と表現力を重視し、TypeScriptのような静的型付けには批判的な立場を示した。また、ShopifyやGitHubなどの大規模サービスがRubyで構築されていることを挙げ、「Rubyはスケールしない」という俗説を否定した。
Rails開発における哲学として、Convention over Configuration(設定より規約)、DRY原則(Don't Repeat Yourself)、プログラマーの幸福を最優先とする姿勢を説明した。また現代の開発現場における問題として、エンジニアリングマネージャーの必要性に疑問を呈し、小さなチーム(通常は2人:プログラマー1人、デザイナー1人)での開発の効率性を主張した。37signalsでは長年にわたりマネージャー不在の組織運営を実践し、個人の責任と自律性を重視したチーム作りを行っている。
後編:DHHが明かすAWS撤退決断と父親としての人生観
ジェフ・ベゾスがBase Campに投資した経緯について、DHHは当初法外な条件を提示したにも関わらず、ベゾスが「この人たちに投資したい」と決断したエピソードを紹介した。この投資は会社の成長資金ではなく、創業者個人への支払いとして行われ、ベンチャーキャピタルからの圧力を回避するための「ワクチン」的な役割を果たした。DHHは会議を「毒」と表現し、リモートワークと非同期コミュニケーションを推奨している。37signalsでは従業員が週40時間以内で働き、家族との時間を大切にする文化を築いている。
2023年に37signalsはAWSからの完全撤退を実行し、年間数百万ドルのコスト削減を実現した。DHHは「クラウドは安くて簡単で速い」という謳い文句が現実と乖離していると指摘し、自社サーバー運用への回帰を提案している。現代のハードウェア性能向上により、企業規模に応じた適切な選択が可能になったと主張した。個人的な側面では、父親になったことで人生観が劇的に変化し、子育てが最も重要な意味を持つようになったと語っている。また長年の趣味であるレーシングについて、ル・マン24時間レースでのクラス優勝経験を含む情熱的な取り組みを紹介した。
オープンソースの哲学について、DHHは「贈り物の交換」という考え方を提示し、利用者が開発者に対して要求を行うべきではないと主張した。最近のWordPress騒動では、創設者マット・ミューレンウェグのWP Engineに対する行動を批判し、オープンソースライセンスの精神に反する行為だと述べた。お金と幸福の関係については、ココ・シャネルの「最高のものは無料、2番目に良いものは非常に高価」という言葉を引用し、家族や健康といった本質的な価値を重視する重要性を強調した。技術の未来については楽観的な姿勢を示し、人類の問題解決能力と創造性に対する信頼を表明している。
ウェブ開発者が語る開発フレームワーク終焉説
15年のウェブ開発経験を持つエンジニアが、AIコーディングアシスタントの登場により現代のJavaScriptフレームワークが不要になったという論争的な主張を展開している。筆者は、ReactやVue.jsなどのフレームワークが解決しようとしてきた複雑さは実は人工的に作られたものであり、AIが基本的なJavaScriptで同様の機能を瞬時に生成できることを証明していると述べている。例えばReactでボタンコンポーネントを作成するコードと、バニラJavaScriptで同じ機能を実装するコードを比較し、AIの支援があれば後者でも十分対応可能であることを示している。
AIコーディングアシスタントは新しいプログラミングパラダイムを発明するのではなく、数十年前から存在するコンピューターサイエンスの基礎知識を活用して最適なコードを生成している。筆者は、AIを「非常に高速なタイピストで記憶力が良いペアプログラマー」と表現し、すべてのAPIを覚えており、人間以上の速度でコーディングし、Stack Overflowの全投稿を読んでいるような存在だと説明している。さらにTailwind CSSのような大量のユーティリティクラスを使用するアプローチも、AIが通常のCSSと同様に簡単に生成できるため意味を失うと指摘している。
今後フレームワークは機能追加や性能向上、AI機能統合を通じて適応を試みるが、これらの取り組みが逆に自身の冗長性を露呈させることになると予測している。バンドルサイズの増大、複雑なビルドパイプライン、認知的負荷の増加といったフレームワーク特有のコストは変わらず、AIによって代替手段が明確になったことでこれらの問題がより顕著になっている。筆者は、優れた開発者を不要にするのではなく、不要なフレームワークを淘汰するのがAI革命の真の意味であり、この変化を早期に理解する開発者が今後有利になると結論付けている。
(n8h1n)
密かに録音するノートアプリが新常識に
シリコンバレーでAI搭載ノートアプリ「Granola」が爆発的な人気を集めている。設立2年のスタートアップが開発したこのアプリは、5月時点で約5000億円の企業価値を獲得し、ベンチャーキャピタリストやスタートアップ創業者の間で今夏のイットアプリとなった。San Francisco拠点のベンチャー企業Footworkの共同創業者ニキル・バス・トリベディは、ビジネスシーンのみならず弁護士との面談や娘の幼稚園教師との会話でもGranolaを使用している。Montreal拠点のソフトウェア企業StarkのCEOキャット・ヌーンは、セラピストとの面談でもアプリを活用し、後で自動要約を読み返して振り返りに役立てていると語った。
Granolaの最大の特徴は、その「隠密性」にある。ユーザーがメールカレンダーにGranolaを接続すると、アプリ経由で会議に参加でき、参加者に録音していることを明示的に通知することなく会話を文字起こしできる。音声ファイルは保存されず、リアルタイムで文字起こしが行われる仕組みとなっている。ChatGPTやClaudeのような自然言語プロンプトで動作する高度な検索機能も評価されており、Lightspeed Venture PartnersやMetaのAI責任者となったナット・フリードマンなど業界トップクラスの投資家から7000万ドル(約100億円)以上の資金調達を実現した。
この現象により、シリコンバレーではAIノート取りアプリの普及により新たな社会規範が確立されつつある。人々が事前通告なしに互いを録音することが日常化し、数年前には想像できなかった方法でプライバシー規範が変化している。しかし業界関係者は「誰もが何らかの会議ノート取りツールを使っていると想定している」と語り、この状況に大きな懸念を示していない。2023年にクリス・ペドレガルがGoogleを退職後にサム・ステファンソンと出会い、2024年5月にアプリをローンチした。ただしペドレガル は「現在のGranola製品が2年後に実用的であるとは思わない。他社より速く改良を続ける必要がある」と課題を認識しており、大手企業による機能模倣の脅威に直面している。