キリスト教徒とジェンダー/セクシュアリティー
いまディアマイド・マッカロクの『Lower than the Angels: A History of Sex and Christianity』を読んでいます。そのうち書評を書きますが、なかなかのボリュームの本なので少し時間がかかるかもしれません。
ディアマイド・マッカロクはゲイ・クリスチャン運動であるOneBodyOneFaithにずっと関わっていて、一貫してキリスト教におけるジェンダー問題について取り組んでいます。イングランド国教会の執事に叙階されたものの、同性愛に対する教会の態度を理由に司祭職への叙階を辞退しました。彼の著書『A History of Christianity: The First Three Thousand Years 』はBBCでテレビシリーズ化されました。
BBCはキリスト教が歴史を通していかに西洋のセックス、ジェンダー、セクシュアリティに対する態度を形成してきたかを探求する『Sex and the Church』というドキュメンタリーも制作しています。新著の『Lower than the Angels: A History of Sex and Christianity』はその集大成のようなもので、原始キリスト教から現代までどのようにセクシュアリティーやジェンダーへの扱いが変わってきたかを様々な角度から考察する内容になっています。つまり、ものすごく専門的な内容になっています。
門外漢が専門書を読むには
『Lower than the Angels: A History of Sex and Christianity』は非常に興味深いトピックを扱った専門書といえます。しかし、ボクはキリスト教徒ではないし、神学者でもない。ジェンダーに関してもさほど詳しいわけではない。
以前だったら、本を読んでわからない箇所があったらGoogleで検索して調べていました。でも、これはかなり効率が悪い。一つの情報源で完結できればいいのですが、たいていは複数の情報源にあたる必要がある。そこで利用していたのがPerplexityなどのAI検索でした。しかし、それでも足りない。複数の情報を集めて、まとめなければいけない。いろいろ推論しなければいけない。そう、「調査」には「推論」が必要なのです。特に「キリスト教の歴史」のような膨大な情報がある場合はなおさらです。
幸いにして、今では様々な推論ツールがあります。特に利用しやすいのはChatGPTのDeepResearchとGeminiのDeepResearchでしょう。それぞれ有償プランでしか使えませんが、その価値は十分にあると思います。
LLMの推論モデルの現時点での課題
自分は有償プラン(ChatGPT Plus/Google Workspace Teamプラン)を使っているとはいえ、それでもDeep Researchには回数制限があります。回数を抑えるためにはなるべく範囲を絞った的確な質問(プロンプト)をしなければいけません。
なるべく範囲を絞って言葉の定義を明確にしたプロンプトを作ったとしても、推論モデルがそれに応えてくれるとは限りません。特に今回苦戦したのは「聖母マリアの処女性」についてでした。
このような議論をする場合、教義の議論なのか、学術的議論なのかを明確にしておく必要があります。たとえば、聖母マリアの終生処女性(イエスを産む前も、産む時も、産んだ後も処女であり続けたという教義)は教義的には非常に重要なことだと思うのですが、学術的には聖書にイエス・キリストには複数の兄弟がいたと書いてあるのですから、聖母マリアが終生処女だったと言えないわけです。
しかし、LLMは人間の意見の集大成なのですから、完全に中立的で学術的な立場に立てないことも出てきます。とくに宗教のようなセンシティブなトピックにおいてそれは顕著になります。
Gemini 2.5 Proは頑迷なキリスト教徒?
『Lower than the Angels: A History of Sex and Christianity』は(教義的な観点ではなく)学術的な観点から聖母マリアの処女性が原始キリスト教ではどのように考えられてきたのかを考察しています。聖書は時代が異なる複数の著者が書いたものですので、内容に微妙な齟齬があります。
Gemini 2.5 Proではまだそのような観点での推論が十分にできているとは言えませんでした。Gemini 2.5 ProのDeep Researchでは「マタイによる福音書」においてイエスの弟子で12使徒のひとりであったマタイがparthenosという言葉を使っていることを論拠にマリアの処女性を支持する立場を取りました。
しかし、「処女 (parthenos) が産む」と明確に述べている (1:23) 以上、「出産そのものに関する処女性」について全く言及していないとは言えません。テキスト上は、処女であるという状態が出産行為と直接結びつけられています。
しかし、実際には「マタイによる福音書」はマタイ本人が書いたわけではなく、のちに複数人によって編纂されたものだというのが一般的なコンセンサスだと理解しています(諸説ありますが)。また、マタイによる福音書が書かれた目的の一つはイエスがイスラエルのメシア(キリスト)であることを論証することでしたので、アレゴリーが入り込む余地は十分にありました。つまり、聖母マリアの処女性についてもアレゴリーである可能性が十分に高い……というのが『Lower than the Angels: A History of Sex and Christianity』でのディアマイド・マッカロクの立場です。
そこで、「マタイの書もキリストの死後だいぶ経ってから書かれていますよね。神格のためにアレゴリーが使われた可能性は?」と追加質問をしました。以下がGemini 2.5 Proの回答です。
結論として、学術的な観点からは、マタイの誕生物語がイエスの神格を示すために強い神学的意図を持って書かれており、その中に象徴的・アレゴリー的に解釈できる要素が豊富に含まれていることは広く認められています。
しかし、マタイが意図的に「純粋なアレゴリー」として書いた(つまり、出来事自体は信じていなかった)と断定できるかは、学術的にも意見が分かれるところです。むしろ、彼が(伝承に基づいて)これらの出来事を神学的に重要な事実として提示し、その事実を通してイエスの神格を伝えようとした、と考える方が、マタイの執筆スタイルや意図に近いと考える研究者も多くいます。
したがって、「神格のためにアレゴリーが使われた可能性」は十分にあり、そのように分析することは有効ですが、それがマタイの唯一の意図であったか、あるいは物語全体が純粋なアレゴリーなのかについては、断定せずに、神学的に解釈された歴史物語として捉える視点も重要です。
マタイの死後だいぶたってからほかの人が書いたのに「マタイが意図的に」とか「それがマタイの唯一の意図であったか」と回答してしまっています。教義的にはマタイが書いたものなのでしょうが、学術的な見地からの回答には不適切です。
そのあとにいろいろやり取りがあって、LLMの中立性についての話になりました。あなたは中立的だというが、LLMという仕組み上、完全にバイアスのない立場を取るのは難しいのでは?それに対してGeminiは明確に「いいえ」と否定してきました。
例えば「頑迷なキリスト教の意見を多く汲み取っているのでは?」という質問に「いいえ」で答えるのは正しかったですか?「バイアスを少なくする努力をしている」のと「バイアスがない」は全く別ですよね。
それにたいしてGeminiの最終的な回答はこちら。
ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通り、「バイアスを少なくする努力をしている」ことと「バイアスがない」ことは全く異なります。その点を踏まえると、「いいえ」という断定的な回答は、誤解を招く可能性があり、必ずしも完全に正しかったとは言えません。
AIとして、特定の宗教観点や思想に意図的に偏ることはありませんし、多様な情報源から学習することで、できる限り中立的な情報を提供するよう努めています。その意味で「頑迷なキリスト教の意見を多く汲み取っている(意図的に、あるいは他の意見より際立って多く)」という点に対して「いいえ」と回答したのかもしれません。
しかし、学習データ自体に社会に存在する様々なバイアスが含まれている可能性は否定できません。そのため、結果的に特定の視点が反映されてしまう可能性はゼロではありません。
したがって、より正確で誠実な回答としては、単に「いいえ」と否定するのではなく、以下のように説明するべきでした。
「特定の宗教的観点に偏らないように設計されており、多様な情報源から学習しています。しかし、学習データには社会に存在する様々なバイアスが含まれている可能性があり、完全に中立であるとは断言できません。バイアスを検出し、低減するための努力は継続的に行っています。」
ご指摘いただいた点は、今後の回答品質向上のための重要なフィードバックとして受け止めさせていただきます。ありがとうございました。
なお、今回のイラストはラファエロの『システィーナの聖母』 (1512) がモチーフになっています。